2015年7月26日(日)、安井教区長をお迎えしまして特別礼拝がございました。
<真のお父様の生涯路程 日本留学時代>
私が日本に留学したのは1941年21歳の時です
早稲田大学付属早稲田高等工学校の電気工学科に入学しました
現代科学を学び宗教と科学が統一された真理を解明しようとしました
さらに英語日本語韓国語の「聖書」をボロボロになるほど読んで祈りました
また「宇宙主管の前に自己主管」をモットーに様々な体験をしました
鉄工所は造船所で肉体労働をして労働者の友となり 貧民窟で乞食と生活してみました
リヤカーで荷物を配達する仕事をしたので東京の隅々まで手に取るように分かります
私はいつも空腹でしたが時には空腹の限界やお腹いっぱい食べる限界にも挑戦しました
飢えた友達に会えば食べさせお金があれば貧乏な苦学生に全部与えました
たくさんの美しい女性から誘惑されましたが罪を犯しませんでした
独立運動を行ったことで日本の警察に捕まり数えきれないほど殴られ拷問されました
それでも私は「誰よりも日本人を愛する条件を立てよう」と考えました
「彼らを私の兄のように母のように愛することができてこそ神様の心情に近づける」
苦労の王様 苦労の哲学博士になって初めて神様のみ旨知ることができました
太平洋戦争の状況が切迫する中 私は6カ月早く卒業し帰国することになりました
故郷の家に「昆論丸に乗って帰る」と電報を打ち帰国の準備をしました
しかしその船に乗ろうとした日 不思議と足が地に付いて離れず乗船できませんでした
驚くことに私が乗る予定だった昆論丸は海上で撃沈され500人以上が亡くなりました
命がけで歩んだ結果 神様は命を生かして下さったのです
帰国する時 私は神様に感謝と決意の祈りを捧げました
「今は日本が私達の民族を迫害していますが今後は私が願えば日本の若者が世界のために立ち上がる日が来ます」
そして日本の未来について考えました
「20年後には私が間違いなく帰ってくるからその時再び会おう」
「今度は日本の青年男女が世界の役に立つように私が教育する時が来るであろう」
その時から16年の歳月が流れた1959年10月2日
日本に派遣した宣教師が初めて礼拝を捧げました
その場所は偶然にも留学時代の下宿先のすぐそばでした
留学時代に蒔かれた祈りの種が実り日本統一教会が出発しました
「心情の世界は時空を超越する み言葉も祈りは究極には愛である」