この度、世界平和統一家庭連合の愛唱歌として、「母なる祖国(くに)に祝福あれ」という楽曲を制作されました。この曲は、米国の第二の国歌とも言われ歌い慕われている「God Bless America」の如く、天の父母様に祝福された母の国日本を誇り、全教会員、全国民がその喜びを讃えるという内容を歌詞にしたものです。各家庭教会の礼拝や集会等で讃美をされ、心霊復興と共に伝道の活性化と家庭連合の発展に寄与できるようご活用ください。(本部より)
2016年1月16日 第55回心の書写の集い
2016年1月16日(日」四日市市文化会館にて約100名が集い、第55回を記念して本部より方相逸伝道教育局長をお迎えして心の書写の集いが開催されました。
今月の書写は「福の中で最も貴い福は、神の愛」です。
結婚は、私のためではなく相手のためにするものです。結婚するとき、立派な人やきれいな人ばかりを追い求めるのは間違った考えです。人間は、人のために生きなければなりません。結婚するときも、その原則を忘れてはいけません。いくら愚かな人でも、美人よりもっと愛そうという心で結婚しなければなりません。福の中で最も貴い福は神の愛です。結婚は、その福を受けて実践することです。その貴い御旨(みむね)を理解して、真(まこと)の愛の中で結婚生活をし、真の家庭を築かなければなりません。
世界平和とは、その言葉どおりに雄大なものではありません。家庭が平和であってこそ社会が平和になり、国家間の葛藤が消え、それがあってこそ世界平和への道が開かれます。ですから、完全な家庭こそが重要であり、家庭の責任はそのくらい大きいのです。
「私さえ幸せに暮らせばよい、私の家庭さえ守ればよい」という言葉は、私の辞書にはありません。」(自叙伝228~229ページ)
~自叙伝書写喜びの証し~
◆ 夫の心が解放され 息子も 西大阪 吹田家庭教会 72歳 婦人 A.Yさん
昨年夏から人に勧められ、夫婦で書写を始めました。病気がちな主人の健康を願い、定年退職後あまり楽しみもなく、家にいる主人に書写会をして楽しませてあげたいとの思いもあって、9月、我が家に人をお招きし、書写会をしました。1回目はぎこちなかったけれども、主人は全体祈祷の祈りの輪にも入り、茶話会にも加わってくれました。主人が楽しんでいる様子が嬉しくて、2回目、3回目と書写会ができるのを夫婦で楽しみに待つようになりました。そして迎えた4回目、それまでは祭壇らしい祭壇は築けてなく、真の父母様のお写真も人からの借り物でしたが、これではいけないと、家庭用に祭壇を準備して書写会をしました。
すると不思議な事に主人が、「真の父母様のお写真から後光が差している。あの写真のお方は一体どういうお方か。本当にありがたい。ありがたい」と繰り返し、涙を流して泣き始めたのです。
両親を見送った時も、親戚や誰かを見送った時も、涙一つ見せた事のなかった主人でしたが、今人前であるにもかかわらず、「ありがたい。ありがたい」と言ってボロボロと泣いている姿に、私はただ驚くばかりでした。 気難しい主人ですが、主人は確かに心がきれいで、純粋なところがあります。その部分をまざまざと見る事が出来ました。とても苦労の多い結婚生活でしたが、主人のこの純粋さの一点があって、信じる事ができ、夫婦二人ここまで頑張って来られた事に感謝しました。
その事があってから、真の父母様のみ言の素晴らしさに、良心に導かれて夫婦二人一日一日を過ごせる感謝の思いを、同居している息子にも伝えました。すると息子も素直に、書写を始めてくれました。「私は今正しく生きているか」から書き始めて、「陰のない人生を生きる」と続けているうちに、息子がずいぶん落ち着いて来たなと感じています。今までは自由奔放に、やりたい事をやって結婚が遅れてしまった息子ですが、結婚して幸せになる事を願い、これからも家族で書写を続けていきます。
2016年1月10日 清掃奉仕活動
2016年1月10日(日)礼拝後、四日市周辺の清掃活動をしました。
2015年12月26日 四日市クリスマス会開催
2015年12月26日(土)四日市市文化会館第4ホールにて、総勢180名余が集い「四日市クリスマス会」が盛大に開催されました。
李承鉉教会長の挨拶にはじまり、子供たちの合唱、中高生&青年のダンス、コント、韓国婦人会の踊りが披露され、最後に大抽選会でクリスマス会の愉しいひと時が閉会となりました。
2015年12月15日 第54回心の書写の集い
2015年12月15日(火)四日市市文化会館にて「第54回心の書写の集い」が開催され、約70名が参加されました。
今月の書写は「平和な家庭は天国の基礎、家庭の原動力は愛」です。
家庭は世界に拡大するから大切なのです。真(まこと)の家庭は、真の社会、真の国家、真の世界の始まりであり、平和世界、神の国の出発点です。父母は、息子・娘のために骨が溶けてなくなるほど働きます。しかし、単純に自分の子供にばかり食べさせようと働くのではありません。あふれるほど愛を受けた人は、人のために、神様のために働くことができます。 (自叙伝233ページ)
「家和して万事成る」という言葉を覚えておくべきです。家庭が平和であれば、すべてのことがうまくいくという意味です。平和な家庭は天国の基礎であり、家庭の原動力は愛です。家庭を愛するように宇宙を愛すれば、どこへ行っても歓迎されるようになります。神様は、宇宙全体の父母として愛の真ん中にいらっしゃるのです。したがって、愛にあふれた家庭は、神様にまで一瀉(いっしゃ)千里で通じるようになります。家庭が愛によって完成してこそ宇宙が完成するのです。 (自叙伝223ページ)
~自叙伝書写喜びの証し~
◆ 自叙伝書写を通して家庭が円満になった 和歌山教区田辺教会 50歳Fさん
私と書写との出会いは、今から二年半ぐらい前のことになります。その頃は姑との関係、職場の人間関係でとても悩んでいて、そんな時、友人から「自叙伝心の書写」を薦められました。
初めは、「書写をすることで、本当に生活が変わるのかなぁ」と、半信半疑でしたが、とにかく書いてみました。毎日書けない時期もありました。書けない時というのは、悩み事が大きくなった時です。仕事で失敗したり、夫婦喧嘩をしてしまった時は、一気に落ち込んで、書こうとしても書けない自分がいました。
これではいけないと思い、気持ちが入らなくても、とにかく書いたら何かが変わると信じて、毎朝、書き続けるよう必死で努力しました。落ち込んでいる時には、「この土地から離れたい」と、そんなことばかり考えていました。以前は息子や娘によく愚痴をこぼしてしまうこともありました。子供たちにとってはずいぶん迷惑な話ですよね。でも最近は、子供たちの話をじっくりと聞いてあげられるようになりました。心に余裕が持てるようになってきたのかもしれませんね。
毎月、浅川先生のDVDを拝見すると、その時の私の心境にぴったりの内容だったり、願いを込めて書写を書くとその通りに叶うので、いつも驚かされています。
今は、舅、姑、夫、息子と私の5人で暮らしています。大阪にいる娘は大学4年生で、はやばやと就職の内定が決まりました。最近は、家の中にいると落ち着く自分がいます。家庭の中が円満になると、不思議と仕事の悩みも無くなりました。家族って本当にありがたいと思います。いてくれるだけで幸せだなあと実感できるようになりました。
これからも書写を毎日書いて、一日一日を大切に生きていきたいと思います。いつも神様が私のそばで見守っていてくださるようにも思います。
2015年11月18日 第53回心の書写の集い
2015年11月15日 四日市祝福式
2015年10月15日 第52回心の書写の集い
2015年10月15日(木)四日市市文化会館にて、第52回心の書写の集いが開催され、約80名が集いました。
今月の書写のテーマは、「誰にも心を開いて、愛情をもって接する」です。
監獄暮らしといっても特に恐ろしくはありませんでした。経験があったからでしょうか。その上また、私は監房長と親しくなるのが上手です。二言三言話をすれば、どんな監房長でもすぐに友達になってしまいます。誰とでも友達になれるし、愛する心があれば誰でも心を開くようになっています。
数日経(た)つと、一番隅っこに座っている私を、監房長が上の場所に引っ張ってくれました。便器のそばのとても狭い隅っここそが私が一番好む場所なのに、しきりにもっと良い場所に座れと言ってきます。いくら嫌だと言ってもどうしようもないことでした。
監房長と親しくなったら、今度は監房の住人を一人一人調べます。人の顔はその人の何もかもを物語ってくれます。「ああ、あなたはこうだからこのような人であり、あなたはああだからあのような人である」と言って話を始めれば、誰もが驚きました。初めて会った私が心の中を言い当てるので、内心は嫌っても認めざるを得ません。
誰であっても心を開いて愛情をもって接するので、監房でも友人ができ、殺人犯とも親しくなりました。やるせない監獄暮らしだったとはいえ、私には私なりに意味のある鍛錬期間でした。この世に意味のない試練はありません。(自叙伝101ページ)
~自叙伝書写喜びの証し~
◆親族16人が書写を捧げる (前)千葉県、0さん
4年前から同居していた主人の母が、今年の1月22日に亡くなりました。主人は5人の兄弟の4番目で両親は最初、長男夫婦と同居していました。母が認知症になって、長男の嫁が「両親の面倒はもう見ることはできない!」ということで、長男の家を出て、次男、三男、それぞれいろいろあって、最終的に我が家にくるようになりました。
認知症の人は、住むところを変えていくと悪化していくらしく、我が家に来るころは大変な状況になっていました。1分前の事も忘れ、同じ言葉を繰り返し、ご飯を食べたことも忘れ、また食べてない…というような状態になっていました。
同居してからは、一緒にお茶を飲んだり、書写を書いたりしました。「お勉強しようか?」というと、嬉しそうに準備を待っていました。書写を書いた後「おばあちゃん、上手だね…」というと、「そうでもないよ、下手だよ」言っていました。書写をする前に、お手本のみ言の意味を話してあげると、いつも「いい言葉だねー」と嬉しそうに言っていました。
母は、幼いころ両親を亡くし、小学校もろくに通えず30歳から奉公に出て、字も独学で覚えたそうです。書くことは好きだったみたいです。書写をすることは、本当に好きだったみたいです。
兄弟夫婦がたまに来た時には、「これ上手でしょう?」とおばあちゃんが書いた書写を意識して見せていました。兄弟も教会の事はあまり良く思っていませんでしたが、皆が来るたびにどんどん明るくなっていく姿を見て、お葬式も私たちがやりたいようにやっていいと言ってくれるようになりました。 (・・つづく)