2015年11月15日(日)熊谷地区長ご夫妻を主礼にお迎えして、四日市家庭教会にて「2016天地人真の父母天宙既成祝福式」が執り行われ、12組の祝福家庭の新たな門出をお祝いしました。
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2015年10月15日 第52回心の書写の集い
2015年10月15日(木)四日市市文化会館にて、第52回心の書写の集いが開催され、約80名が集いました。
今月の書写のテーマは、「誰にも心を開いて、愛情をもって接する」です。
監獄暮らしといっても特に恐ろしくはありませんでした。経験があったからでしょうか。その上また、私は監房長と親しくなるのが上手です。二言三言話をすれば、どんな監房長でもすぐに友達になってしまいます。誰とでも友達になれるし、愛する心があれば誰でも心を開くようになっています。
数日経(た)つと、一番隅っこに座っている私を、監房長が上の場所に引っ張ってくれました。便器のそばのとても狭い隅っここそが私が一番好む場所なのに、しきりにもっと良い場所に座れと言ってきます。いくら嫌だと言ってもどうしようもないことでした。
監房長と親しくなったら、今度は監房の住人を一人一人調べます。人の顔はその人の何もかもを物語ってくれます。「ああ、あなたはこうだからこのような人であり、あなたはああだからあのような人である」と言って話を始めれば、誰もが驚きました。初めて会った私が心の中を言い当てるので、内心は嫌っても認めざるを得ません。
誰であっても心を開いて愛情をもって接するので、監房でも友人ができ、殺人犯とも親しくなりました。やるせない監獄暮らしだったとはいえ、私には私なりに意味のある鍛錬期間でした。この世に意味のない試練はありません。(自叙伝101ページ)
~自叙伝書写喜びの証し~
◆親族16人が書写を捧げる (前)千葉県、0さん
4年前から同居していた主人の母が、今年の1月22日に亡くなりました。主人は5人の兄弟の4番目で両親は最初、長男夫婦と同居していました。母が認知症になって、長男の嫁が「両親の面倒はもう見ることはできない!」ということで、長男の家を出て、次男、三男、それぞれいろいろあって、最終的に我が家にくるようになりました。
認知症の人は、住むところを変えていくと悪化していくらしく、我が家に来るころは大変な状況になっていました。1分前の事も忘れ、同じ言葉を繰り返し、ご飯を食べたことも忘れ、また食べてない…というような状態になっていました。
同居してからは、一緒にお茶を飲んだり、書写を書いたりしました。「お勉強しようか?」というと、嬉しそうに準備を待っていました。書写を書いた後「おばあちゃん、上手だね…」というと、「そうでもないよ、下手だよ」言っていました。書写をする前に、お手本のみ言の意味を話してあげると、いつも「いい言葉だねー」と嬉しそうに言っていました。
母は、幼いころ両親を亡くし、小学校もろくに通えず30歳から奉公に出て、字も独学で覚えたそうです。書くことは好きだったみたいです。書写をすることは、本当に好きだったみたいです。
兄弟夫婦がたまに来た時には、「これ上手でしょう?」とおばあちゃんが書いた書写を意識して見せていました。兄弟も教会の事はあまり良く思っていませんでしたが、皆が来るたびにどんどん明るくなっていく姿を見て、お葬式も私たちがやりたいようにやっていいと言ってくれるようになりました。 (・・つづく)
2015年9月20日21日 真の家庭運動パネル展
2015年9月15日 第51回心の書写の集い
2015年9月15日(火)四日市港ポートビルにて「第51回心の書写の集い」が開催されました。
今月の書写のテーマは「愛の心で敬拝し、天に対するように仕える」です。
子供たちが来れば、『聖書』のみ言(ことば)を付け加えた童話を聞かせて、一緒に遊びました。子供であっても必ず敬語を使い、真心を込めて世話しました。そうしながら、私が伝えたい新しいみ言を誰かが聞きに来るだろうと待ったのです。ある時は一日中門の外を眺めて、人を懐かしく思ったりもしました。そうやってじっと待っていると、やがて篤実な信仰心をもった人たちが私を訪ねてくるようになりました。その人たちを迎えて、私は夜通し新しいみ言を教えました。
訪ねてくる人には、三歳の子供であろうと腰の曲がった目の遠い老人であろうと、愛の心で敬拝し、天に対するように仕えました。年取ったお爺(じい)さん、お婆(ばあ)さんが訪ねてきても、夜遅くまで話をしました。「なんだ、年を取った老人なので嫌だな」という思いを持ったことは一度もありません。人は誰でも尊いのです。人が尊いことにおいて、老若男女に差はありません。 (自叙伝97ページ)
~自叙伝書写喜びの証し~
◆亡き父との64年間のわだかまりが溶ける (後)
一週間ごとに目標を決め、毎日「愛天愛人愛国」家庭生活実践表に気付きを書き始めると、今までのようにどんなにみ言を聞いても、聞きっぱなしでは何も変わらない、みんな通り過ぎていってしまうんだ、と気付きました。
実践することの大切さを感じ始めたときから、心の奥底から「私は生まれ変わりたい!」と思うようになりました。 それからは、人が言ってくださる事は、神様が私に大切な事を与えてくださっているんだと思い、何でも素直に受け止められるようになりました。するとどんどん心が軽くなっていきました。毎朝目が覚めてすぐに、「神様、おはようございます!」と挨拶ができるようになりました。すると不思議なほどに、なげやりの心やあきらめの心が消えていきます。
2015年9月13日 四日市クリーンアップ
2015年9月13日(日)久方の秋晴れの中、四日市駅前の鵜の森公園にて「WE WILL STAND!ファミリープロジェクト2015」の一環で、清掃奉仕活動をしました。
2015年8月19日 第50回心の書写の集い
2015年8月19日(水)四日市市文化会館にて、第50回心の書写の集いが開催されました。文鮮明先生の93年の生涯にちなんで、93名の皆様が集われました。また、50回を記念して、閉式後、お楽しみ抽選会があり大いに盛り上がりました。
今月の書写は「神様と私たちは、父と子の関係」です。
数年にわたる祈祷と真理探究の総決算とも言うべく、それまでどうしても解けなかった疑問についに答えを得たのです。それは一瞬の出来事でした。あたかも火の塊が私の体を通り抜けたかのようでした。
「神様と私たちは父と子の関係である。それゆえ、神様は人類の苦痛をご覧になって、あのように悲しんでいらっしゃるのだ」という悟りを得た瞬間、宇宙のあらゆる秘密が解かれました。
人類が神様の命令に背いて、堕落の道を歩む中で起こったすべての出来事が、映写機が回るように私の目の前にはっきりと広がりました。目から熱い涙がとめどもなく流れ落ちました。私はひざまずいてひれ伏したまま、容易に起き上がることができませんでした。子供の頃、父に背負われて家に帰った日のように、神様の膝に顔を伏せて涙を流したのです。イエス様に出会って9年目にして、ようやく父の真の愛に目覚めたのでした。(自叙伝88ページより)
~自叙伝書写喜びの証し~
◆亡き父との64年間のわだかまりが溶ける (前)
私は現在75歳で、一人暮らしをしています。主人は24年前に他界し、長男夫婦は隣町に住んでいるのですが、折り合いが悪くうまく情を通い合わせる事が出来ない事が悩みでした。また、私の父は、私が11歳の時に病気で亡くなったのですが、両親はいつもケンカをしており、父の思い出といったら、怒っている姿しか思い浮かびません。父には怖いイメージしか無いのです。何故私はこんなに家族の関係が悪いのか、いつも孤独感がつきまとい苦しい事や寂しい事ばかりでした。
書写を書き始めて2年が経ちますが、まわりの方達は変わっていくのに、私は書写を書いても変われない、いつになったら変われるのだろうと思っていました。
でもそんな私に、神様は奇蹟を与えてくださったのです。毎月行われる自叙伝書写講演会に参加した時のことです。浅川先生はいつも講話の中で、文鮮明先生の事を証ししてくださいます。その日は特に「文鮮明先生が全てに勝利してくださった教えを、自叙伝のみ言を通して私達に与えてくださっている」ことを、心で受け止めることができました。毎日書いている書写の一言一言にとても重みを感じ、その日から書写のみ言を心に入れながら書くように心がけました。
すると今まで感じたことのない、亡き父に対する感謝の思いが湧いてくるようになったのです。35歳で亡くならなければならなかった父はどれほど無念だっただろうか、また私がもっと父に甘えていたら、両親の仲も違っていたのではないかという、悔い改めの思いが込み上げてきて涙が止まりませんでした。11歳の時からとぎれた父に対する思いが64年ぶりに溶けていきました。 ・・続く
2015年7月23日24日 幸福な家庭づくりセミナー
2015年7月16日 第49回心の書写の集い
2015年7月16日(木)四日市市勤労者市民交流センターにて、第49回心の書写の集いが開催されました。
今月の書写は「心を明るくし、清めよう」です。
自分の最も親しい先生は自分の良心です。最も親しい友人よりも貴く、父母よりも貴いものが自分の良心です。 ですから、一生を生きていながら、最も親しい先生であるこの「良心」に、「私は今、正しく生きているか?」といつも尋ねなければなりません。良心が自分の主人だという事実を悟り、心を磨き、生涯親しく過ごしてみれば、誰もが良心の声を聞くことができます。良心が涙をぽろぽろ流して泣く声を聞いたら、この時にしていることはすぐに止めなければなりません。良心を苦しめることは、自らを滅ぼすことだからです。良心を悲しませることは、結局、自らを悲しみに陥れることです。
心を明るくし、清めようとすれば、世の中の喧騒(けんそう)を離れて、私と私の心、この二つだけが対面する時間が必ず必要です。とても孤独な時間ではありますが、心と親しくなる瞬間こそ、私自身が心の主人になる祈りの場であり、瞑想の時間です。周囲の騒々しさを退けて、心を静めていけば、心の中の最も深い所が見えてきます。心が落ち着くその深い場所まで降りていくためには、多くの時間と労力を注がなければなりません。(自叙伝234-5ページ)
~自叙伝書写喜びの証し~
◆自叙伝書写の「真なる愛は与え、また与えてもなお与えたい心ですのみ言を書写しておりました。そうすると、自分の心にある思いがわいてきました。それは、「自分はこれまで子ども達への愛が足りなかったという思いでした。涙が止まりませんでした。変わっていかなければと、本当に思わされ子供達や夫に対する接し方を反省し愛そうと努力し、さらに書写を続けていくうちに、不思議と夫が以前より優しくしてくれる事を感じました。 (八王子 50代婦人)
◆まずテーマの「幸福は常に私たちを待っています」に感動しました。先生の話の中で、何気ない事・物を大切することと当たり前の生活の大切さ、そこに幸せがあることを感じました。人の書写を通しての証を聞いて感動しますが、今回は感動と共に、自分の証を持ちたなければいけない事を感じました。これから書写を一生懸命して証を立てられる私となっていきたいと思います。
2015年6月15日 第48回心の書写の集い
2015年6月15日(月)四日市市勤労者市民交流センターにて、第48回心の書写の集いが開催されました。
今月の書写は「人々に幸福をもたらす者となろう」です。
(平和を愛する世界人として58ページより)
私は物心がついてくると、「将来何になるのか」という問題について熱心に考え始めました。自然を観察し研究することが好きだったので、科学者になろうかと考えましたが、日本の収奪に苦しめられ、日に3度の食事さえもままならない人たちの惨めな有様を目にして、考えを変えました。科学者になってノーベル賞を取ったとしても、ぼろを身にまとい、飢えた人たちの涙をぬぐい去ることはできないと思ったからです。
私は人々の流れる涙をぬぐい、心の底に積もった悲しみを吹き払う人になりたかったのです。森の中に横になって鳥たちの歌声を聞くと、「あのさえずりみたいに、誰もが仲良く暮らせる世の中を築こう。一人一人の顔をかぐわしい花のように素晴らしくしてあげたい」という思いが自然と沸き上がってきました。一体どんな人になればそうできるのか、それはまだ分かりませんでしたが、人々に幸福をもたらす者になろうという心だけは固まっていきました。
~自叙伝書写喜びの証し~
◆今の私には、すぐに心を切り替えて、実行することが課題ですが、努力しなくてはいけませんね。「お掃除」は私のストレス解消、「整理収納」は趣味であり心を磨くことも出来るというお話、実感として納得しました。近頃の生活では、人に振り回される状態に戸惑いや後悔がありますが、「神様を愛する」ことを目標に、真心を込めて書き写します。これからも都合がつけば、参加します。自分をリセットするのに必要な場所でした。(立川)
◆書写を行うたびに心情が穏やかに、肯定的な考え方へと変化しているように感じます。また深く呼吸する際に書写を行う前と後では意識が変わりました。書写を行う前は「吸う」ことを意識していましたが、書写を行った後は「吐く」ことを意識するようになり、まさに与えることが先という事を実感しました。 (福岡)
◆40代の息子と一緒に住みながらも、食事もできない、話もできない状態が長年続いていました。良くわからないのだけれども、勧められるままに自叙伝書写を始めて一ヶ月目に不思議と息子の方から「お母さん、一緒に食べよう」と言ってきて惣菜を買ってきてくれそうです。「ありがたいです。夢のようです」と言われています。(川崎)