2015年12月26日(土)四日市市文化会館第4ホールにて、総勢180名余が集い「四日市クリスマス会」が盛大に開催されました。
李承鉉教会長の挨拶にはじまり、子供たちの合唱、中高生&青年のダンス、コント、韓国婦人会の踊りが披露され、最後に大抽選会でクリスマス会の愉しいひと時が閉会となりました。
2015年12月26日(土)四日市市文化会館第4ホールにて、総勢180名余が集い「四日市クリスマス会」が盛大に開催されました。
李承鉉教会長の挨拶にはじまり、子供たちの合唱、中高生&青年のダンス、コント、韓国婦人会の踊りが披露され、最後に大抽選会でクリスマス会の愉しいひと時が閉会となりました。
2015年12月15日(火)四日市市文化会館にて「第54回心の書写の集い」が開催され、約70名が参加されました。
今月の書写は「平和な家庭は天国の基礎、家庭の原動力は愛」です。
家庭は世界に拡大するから大切なのです。真(まこと)の家庭は、真の社会、真の国家、真の世界の始まりであり、平和世界、神の国の出発点です。父母は、息子・娘のために骨が溶けてなくなるほど働きます。しかし、単純に自分の子供にばかり食べさせようと働くのではありません。あふれるほど愛を受けた人は、人のために、神様のために働くことができます。 (自叙伝233ページ)
「家和して万事成る」という言葉を覚えておくべきです。家庭が平和であれば、すべてのことがうまくいくという意味です。平和な家庭は天国の基礎であり、家庭の原動力は愛です。家庭を愛するように宇宙を愛すれば、どこへ行っても歓迎されるようになります。神様は、宇宙全体の父母として愛の真ん中にいらっしゃるのです。したがって、愛にあふれた家庭は、神様にまで一瀉(いっしゃ)千里で通じるようになります。家庭が愛によって完成してこそ宇宙が完成するのです。 (自叙伝223ページ)
~自叙伝書写喜びの証し~
◆ 自叙伝書写を通して家庭が円満になった 和歌山教区田辺教会 50歳Fさん
私と書写との出会いは、今から二年半ぐらい前のことになります。その頃は姑との関係、職場の人間関係でとても悩んでいて、そんな時、友人から「自叙伝心の書写」を薦められました。
初めは、「書写をすることで、本当に生活が変わるのかなぁ」と、半信半疑でしたが、とにかく書いてみました。毎日書けない時期もありました。書けない時というのは、悩み事が大きくなった時です。仕事で失敗したり、夫婦喧嘩をしてしまった時は、一気に落ち込んで、書こうとしても書けない自分がいました。
これではいけないと思い、気持ちが入らなくても、とにかく書いたら何かが変わると信じて、毎朝、書き続けるよう必死で努力しました。落ち込んでいる時には、「この土地から離れたい」と、そんなことばかり考えていました。以前は息子や娘によく愚痴をこぼしてしまうこともありました。子供たちにとってはずいぶん迷惑な話ですよね。でも最近は、子供たちの話をじっくりと聞いてあげられるようになりました。心に余裕が持てるようになってきたのかもしれませんね。
毎月、浅川先生のDVDを拝見すると、その時の私の心境にぴったりの内容だったり、願いを込めて書写を書くとその通りに叶うので、いつも驚かされています。
今は、舅、姑、夫、息子と私の5人で暮らしています。大阪にいる娘は大学4年生で、はやばやと就職の内定が決まりました。最近は、家の中にいると落ち着く自分がいます。家庭の中が円満になると、不思議と仕事の悩みも無くなりました。家族って本当にありがたいと思います。いてくれるだけで幸せだなあと実感できるようになりました。
これからも書写を毎日書いて、一日一日を大切に生きていきたいと思います。いつも神様が私のそばで見守っていてくださるようにも思います。
2015年10月15日(木)四日市市文化会館にて、第52回心の書写の集いが開催され、約80名が集いました。
今月の書写のテーマは、「誰にも心を開いて、愛情をもって接する」です。
監獄暮らしといっても特に恐ろしくはありませんでした。経験があったからでしょうか。その上また、私は監房長と親しくなるのが上手です。二言三言話をすれば、どんな監房長でもすぐに友達になってしまいます。誰とでも友達になれるし、愛する心があれば誰でも心を開くようになっています。
数日経(た)つと、一番隅っこに座っている私を、監房長が上の場所に引っ張ってくれました。便器のそばのとても狭い隅っここそが私が一番好む場所なのに、しきりにもっと良い場所に座れと言ってきます。いくら嫌だと言ってもどうしようもないことでした。
監房長と親しくなったら、今度は監房の住人を一人一人調べます。人の顔はその人の何もかもを物語ってくれます。「ああ、あなたはこうだからこのような人であり、あなたはああだからあのような人である」と言って話を始めれば、誰もが驚きました。初めて会った私が心の中を言い当てるので、内心は嫌っても認めざるを得ません。
誰であっても心を開いて愛情をもって接するので、監房でも友人ができ、殺人犯とも親しくなりました。やるせない監獄暮らしだったとはいえ、私には私なりに意味のある鍛錬期間でした。この世に意味のない試練はありません。(自叙伝101ページ)
~自叙伝書写喜びの証し~
◆親族16人が書写を捧げる (前)千葉県、0さん
4年前から同居していた主人の母が、今年の1月22日に亡くなりました。主人は5人の兄弟の4番目で両親は最初、長男夫婦と同居していました。母が認知症になって、長男の嫁が「両親の面倒はもう見ることはできない!」ということで、長男の家を出て、次男、三男、それぞれいろいろあって、最終的に我が家にくるようになりました。
認知症の人は、住むところを変えていくと悪化していくらしく、我が家に来るころは大変な状況になっていました。1分前の事も忘れ、同じ言葉を繰り返し、ご飯を食べたことも忘れ、また食べてない…というような状態になっていました。
同居してからは、一緒にお茶を飲んだり、書写を書いたりしました。「お勉強しようか?」というと、嬉しそうに準備を待っていました。書写を書いた後「おばあちゃん、上手だね…」というと、「そうでもないよ、下手だよ」言っていました。書写をする前に、お手本のみ言の意味を話してあげると、いつも「いい言葉だねー」と嬉しそうに言っていました。
母は、幼いころ両親を亡くし、小学校もろくに通えず30歳から奉公に出て、字も独学で覚えたそうです。書くことは好きだったみたいです。書写をすることは、本当に好きだったみたいです。
兄弟夫婦がたまに来た時には、「これ上手でしょう?」とおばあちゃんが書いた書写を意識して見せていました。兄弟も教会の事はあまり良く思っていませんでしたが、皆が来るたびにどんどん明るくなっていく姿を見て、お葬式も私たちがやりたいようにやっていいと言ってくれるようになりました。 (・・つづく)
2015年9月13日(日)久方の秋晴れの中、四日市駅前の鵜の森公園にて「WE WILL STAND!ファミリープロジェクト2015」の一環で、清掃奉仕活動をしました。
2015年8月19日(水)四日市市文化会館にて、第50回心の書写の集いが開催されました。文鮮明先生の93年の生涯にちなんで、93名の皆様が集われました。また、50回を記念して、閉式後、お楽しみ抽選会があり大いに盛り上がりました。
今月の書写は「神様と私たちは、父と子の関係」です。
数年にわたる祈祷と真理探究の総決算とも言うべく、それまでどうしても解けなかった疑問についに答えを得たのです。それは一瞬の出来事でした。あたかも火の塊が私の体を通り抜けたかのようでした。
「神様と私たちは父と子の関係である。それゆえ、神様は人類の苦痛をご覧になって、あのように悲しんでいらっしゃるのだ」という悟りを得た瞬間、宇宙のあらゆる秘密が解かれました。
人類が神様の命令に背いて、堕落の道を歩む中で起こったすべての出来事が、映写機が回るように私の目の前にはっきりと広がりました。目から熱い涙がとめどもなく流れ落ちました。私はひざまずいてひれ伏したまま、容易に起き上がることができませんでした。子供の頃、父に背負われて家に帰った日のように、神様の膝に顔を伏せて涙を流したのです。イエス様に出会って9年目にして、ようやく父の真の愛に目覚めたのでした。(自叙伝88ページより)
~自叙伝書写喜びの証し~
◆亡き父との64年間のわだかまりが溶ける (前)
私は現在75歳で、一人暮らしをしています。主人は24年前に他界し、長男夫婦は隣町に住んでいるのですが、折り合いが悪くうまく情を通い合わせる事が出来ない事が悩みでした。また、私の父は、私が11歳の時に病気で亡くなったのですが、両親はいつもケンカをしており、父の思い出といったら、怒っている姿しか思い浮かびません。父には怖いイメージしか無いのです。何故私はこんなに家族の関係が悪いのか、いつも孤独感がつきまとい苦しい事や寂しい事ばかりでした。
書写を書き始めて2年が経ちますが、まわりの方達は変わっていくのに、私は書写を書いても変われない、いつになったら変われるのだろうと思っていました。
でもそんな私に、神様は奇蹟を与えてくださったのです。毎月行われる自叙伝書写講演会に参加した時のことです。浅川先生はいつも講話の中で、文鮮明先生の事を証ししてくださいます。その日は特に「文鮮明先生が全てに勝利してくださった教えを、自叙伝のみ言を通して私達に与えてくださっている」ことを、心で受け止めることができました。毎日書いている書写の一言一言にとても重みを感じ、その日から書写のみ言を心に入れながら書くように心がけました。
すると今まで感じたことのない、亡き父に対する感謝の思いが湧いてくるようになったのです。35歳で亡くならなければならなかった父はどれほど無念だっただろうか、また私がもっと父に甘えていたら、両親の仲も違っていたのではないかという、悔い改めの思いが込み上げてきて涙が止まりませんでした。11歳の時からとぎれた父に対する思いが64年ぶりに溶けていきました。 ・・続く
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夫婦ってなんだろう?